大学受験「倫理」勉強法 ③東洋思想史の勉強方法―「悟り」を求めて三千里
東洋思想史は、西洋思想史とは大きく「流れ」が異なります。
東洋思想史は、偉大な哲人というのがぱっと出ては消えてゆくというイメージが合うと思います。
西洋思想史風にいえば、すべての「真理」を会得した人間―例えば釈尊、孔子―がまずいて、後の人間が、彼らが言いたかったのはこういうことなのだという注釈をつけてゆく歴史であるといえます。
ですからその意味で、西洋思想史とは流れが異なります。西洋思想史の場合は、真理を求める歴史の流れの中で自分がいったいどこにいるのかを意識するのが大切と述べて来ました。
しかし、東洋思想史にはそのような流れは存在しません。なぜなら東洋思想史的な真理は弁証法的発展をするものではなく、偉大な賢人によってもたらされるものだからです。
ですから、もちろん流れの重視は大切なのですが、重視すべき流れというのが、この人は誰の言葉を真理としているのか?という点が強くなります。
例えば、日本仏教の僧であれば、仏教ですから釈尊の言葉を真理としています。
そのなかで、最も釈尊のことばの意味を正確に教えているのはうちの師匠だ、といい合うのが「宗派」と呼ばれるものです。
ですから、東洋思想史は、常にこの人は誰の言葉を真理とし、そしてその真理を最も良く語っているのは誰だといっているのか?
そのような形で整理することで、ばらばらに覚えるよりも断然に覚えやすくなるのです。
大問3で毎年問われる日本思想史も、同様に処理できます。というのは、日本思想史は儒教・仏教の影響を大きく受けているからです。
例えば、「上下定分の理」で知られる江戸時代の幕府の思想家林羅山にしても、これは儒教の考えを「真理」とし、幕府の支配を強化するための思想体系を作り上げている、といえます。














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